沈む瀬と浮かぶ瀬

展覧会の感想など

紙上の小宇宙

 

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 六本木の絵巻マニア列伝に行きました。(例に漏れず大分前)

あと確か芸大の雪村展にも行ってる。感想は省くけど今人に勧めるとしたら多分このふたつだろうな。

サントリー美術館ってミッドタウンの高級店群のど真ん中にあるので、行く時はいつも「これが上流階級ってやつか〜〜〜」とかしょうもないことを考える。

絵巻はとても良かった。あんな小さな紙の上に宇宙のような光景がこっそりと、あちこちに広がっている。手にとって見てたら思わずのめりこんじゃう気持ちも分かる。

特に屏風や襖絵の書き込みは愛らしくて丁寧。私も金持ちになってマニアになりたかったぞ。

まだチケットが一枚余ってるのでどこで行こうかな。

 

余談 ミッドタウンは何故か花だらけだった。

普段写真なんか全然取らないのに花になると急にたくさん撮ってしまう。時間は私たちの思惑などまるで無視して、無情に過ぎ去って行くけれど、どうか春はまだ過ぎ去らないでほしいと切実に願ってしまった。

 

 

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足が冷えてつらい / 3月後半の展示メモ

近況報告。ダウントンアビーおもろい。足が冷えまくってやばい。

 

展覧会。

出光美術館の古唐津展。最終日の最後の2時間というとてつもなくギリギリの時間に駆け込んだ。案の定時間が足りなかった。前回(岩佐又兵衛)の展示も最終日の最後数時間とかに駆け込んで結構いい展示だったのに急いで回っちゃったということがあったので、後回しにせず見に行った方が良かったなとか思う。

良かった作品は色々あるけれど、しだれ落ちて混ざる釉薬の幻想的な青(あるいは緑)がとても綺麗だった。青が綺麗なものは勢いよく水の中に落ちていく様を思い出すのに、全体としては静謐な雰囲気があって魅力的だった。二面性を併せ持つ魅力は細部と全体という2つの対比にあるのかもしれない。

細部と全体。絵画の場合は細部と全体という時大小の切り取られた面積の中で比較すればいいけれど、陶芸の場合は比較の対象が少し違うだろうと思う。例えば異なる箇所の表面の手触り、厚み、重さ。思えば彫刻の場合は重さや実際の手触りは鑑賞のポイントにならないことが多いと思う。

 

山種美術館、日本美術の教科書展

これ行ったの大分前なのにめもるの忘れていた。これの1つ前が京都編で今回は東京編。今更ながら東山魁夷の絵の実物を初めて見たかもしれない。

 

行くの忘れそうな展示メモ

ティツィアーノヴェネチア派展(リベンジ) /河鍋暁斎展 / NSハルシャ展 /ミュシャ展 / 雪村展

/ ナビ派(リベンジ) /絵巻マニア列伝展

 

行くか迷うやつ

歌川国芳展 / 太田記念美術館でやってた国芳の図録まだあるならちょっと欲しい

 

前売り買うやつ

バベルの塔展 / アルチンボルド

 

 

はるやすみ

私は4年生になれるらしい。

不器用すぎて泣きながら取り組んだ実習の単位も無事にきたのである意味気楽だ。

語学の評価がやっぱり芳しくないのでちょっと落ち込んだ。

 

最近行った展覧会

国立新美術館草間彌生展。遺言のような展示だった。無限の洪水のような展示スペースを回って、走馬灯を見ているような気がした。草間彌生草間彌生以外の何者でもなく、すべてを巻き込んで、けれど、自身は決して変わることのない、強い天才的なただひとつの個性だと思う。

三菱一号館ナビ派。近代美術の総復習のような展示だった。ナビ派というのは1つのグループではあるけれど多様な個性を並べた展示であるという言葉を展示をみた別の人から聞いてなるほどなと思う。屏風の作品に気になるものが多数あり。ヴァロットンがとても異質でよく分からない画家という印象を受ける。

シャセリオー展。ヌードの大きな絵は面白い。このあいだのクラーナハの展示をどうしても思い出す。ロマン派やあのあたりの画家を見た経験がなさすぎて、比較するための感覚やイメージとか語彙が自分の中で少なすぎることに気づく。アングルとかは面白いと思うので図版を見ようと思う。

 

映画の話

恵比寿ガーデンズプレイスにある映画館で『たかが世界の終わり』 を見て、翌日は大泉学園で『ララランド』を見た。

ララランド、嫌いではないけれど、ものすごく好きになれるかといったら少し考えてしまうような映画だった。

エマ・ストーンはすごい良かったし、映像も音楽も良かったと思う。

そういうそこそこ良い音楽と映像と役者が作られるそこそこ良い雰囲気が、些細だけど深刻な出来事と感覚を(ささやかにかつ強引に)映画から追い出してしまっている。

繰り広げられているのは間違いなく素敵で夢のような世界なんだけど、現実にはそんな世界ありえなくて、というか、そんな世界が見えている人もいると思うし可能な世界であるとしても、その背後には必ず色んな痛みや困難や問題があるだろうと思うと、ただ綺麗な世界を提示することはそれらの救いにはならないよな。って感じ。うまくまとまらない。

些細だけど深刻なこと、というのがここ最近頭に浮かんではうまく形にできなくて逃げていく概念で、時間があったらちゃんと言葉にしたい。

 

気がつくとすぐ時間が空いて記録するのを忘れてしまうので、何があったか覚えているうちに急いで書いておく。

もうすぐ花見の時期だし団子でも食べて夜の街をぶらぶらしたい。

たい焼きが食べたい

どーーーしようもなく甘いものが食べたい。

昨日はみたらし団子が食べたかったし今日はたい焼きが食べたい、明日にはあんみつが食べたいとか言ってるんじゃないだろうか。

甘いものは人を幸せにする、きっと。けど暫くはちょっと我慢しよう。

 

ここ最近のこと。

1月はテスト、2月になって合宿に行って演奏会があって、うわああって言ってたら春休みももうすぐ半分終わっちゃうね。

院試が日毎に現実味を増して、でも勉強は全然追いついてなくて、毎日へらへらしてるけど内心は結構焦っている。

 

最近はあまり展覧会に行った記憶がない。

2月の上旬に都美でやっているティツィアーノヴェネツィア派展に行った。ものすごく目立つ損傷があったり、「これ近代絵画?」って思うぐらいつるぴかな絵画があって、なんだこいつらは...と思っていたが、あれはイタリアの一種の修復介入の結果なんだそう。ルネサンス期の絵画は同じ画家でも印象の違った絵画があったりするのは、後年の介入によるところも大きいとなんとなく耳にしていたけど、あそこまで分かりやすい修復も、なかなか面白いなと思う。

一部の芸術作品は人の一生よりもずっと長い時間を経験して、その流れによる不可避な変化は、作品の要素となって積み重なっていく。その変化には人々の思いや考えも少なからず含まれている。それも、作者や所有主以外のものも。

作品って何なのだろう。オリジナルなんて結局幻のような何かなんだろうか。そんなことは無いように直感的に思うけれど。

 

最近はバイトの前後に阿佐ヶ谷の映画館に駆け込んで映画を見るのが日課になっている。

映画を見ることにハマっているというのもあるけど、街は程よく狭く、程よくごちゃごちゃしてて、そこにふらっと入り込んでぼーっと映画を見るというのが私の性に合うらしい。

美術館にしょっちゅう行くのは美術が好きというのも勿論あるが、美術館の行き帰りにふらふらしたり、散漫に思いを巡らすことのできるあの空間、その雰囲気が何とも言えないぐらい心地いいのだ。

そういう場所を必要としている人間は珍しくないと思うし、そういう人たちに対しては何となく憎めない。

フランス語を大量に聞き流してたら全然頭に入ってこなかった数詞が覚えられたし、フラ語の勉強だって言い訳がたつかな、いや、たたないな。

 

具体的な勉強のこと。

語学の勉強を頑張る。これは本当に頑張らないといけない。

未読の本が溜まっててこれも悩みの種。大まかに分けると、

①美学および芸術学の本、②北方ルネサンス関係(特にヤン・ファン・エイク)の本、③色彩に関係する本(ヴェネツィア派も含む)、の3つ。図録やpdfで落としたような論文もかなり溜まってるので、春休み中に何とか消費したい。

教授のアポ取りもしなよって言われて未だに全然できてないのでやるべきことは山積みだ。

 

日記なんて3日と続いたことがないけれど

スケジュール帳はあまり機能が多くなくて構わない。書き込むことなんて、バイト、3限休講くらいのものだ。別にこだわりとかも特にない。100均のスケジュール帳だろうが、ものすごく質素なものでも問題ない。

それなのに、ロフトのスケジュール帳売り場は私の隠れた暇つぶしスポットだ。

持つものは何でもいいけど、工夫やデザインが色々あって次々と手に取ってみることができるのは普通に楽しいのだ。

可愛い装丁や、開いてみるとたくさんイラストが入ってて絵本みたいなのが好みだけれど、路線図とメモスペースだけでなく、いざという時の電話番号集とか、世界各国のあいさつ集とかがついてたり、とても使いこなせそうにないほど様々な機能がついたものとかを見てると、「これを使うような人は一体どういう生活をする人なのだろう?」とつい想像してしまう。それもまた楽しい。

 

スケジュール帳売り場は大体「ダイアリー」というコーナー名でまとめられていることが多い。同じエリアには、スケジュール帳だけでないのも普通である。例えば、家計簿とか、育児日記とか、そして本物の(?)ダイアリー、つまり日記帳とかである。

 

日記なんて3日と続いたことがない。

文章を書くということはは非常に疲れることだと思う。何をしているわけでなくても、時間を過ごしていれば色んな考えや感情が頭の中を渦巻いているし、それに動かされて頑張っちゃったりするのだ。でも、それは一度言葉にしようとすると結構難しい。何とか言葉にして、文章にしても、頭の中のときの印象と大きなギャップをもつこともままある。あれ、今まであんなにぐわあって考えてたことって、こんなしょぼかったっけ?って。

逆のケースでも何でも考えて集中することに変わりはない。考えて集中することはいつまでも続くわけじゃない。疲れるからだ。

しかもそれを毎日、こつこつ、楽しいことつらいこと恥ずかしいことどうでもいいこと、全部思い出して、ひとつひとつああでもないこうでもないこれを書いてこれは書かないで……。

面倒くさい。端的に。

 

最近は3年ダイアリーとか、いつでも気楽に気軽に書けるような工夫がしてあるものもたくさん出ているが、文章を書くということ自体がそもそも全然気楽じゃない。

夏休みの宿題は夏休みが明けてからやるタイプには縁遠く感じる。

「寒い眠い鍋食べたい」程度の瑣末なことだったら青い鳥さんにぶん投げておくので十分だ。

 

それでも書き残しておかないと役に立つことや大事なことだってすっかり忘れてしまう。

なので、ブログをはじめることにした。

そもそも展覧会評*1書くためにはじめようと思ったので画像とか使うと思ってtumblerに登録してたいたのだけれど、画像なんてそんなに使わないし、何より数十時間分のテキストがエラーで消えていった*2ので、もういっそのこと普通のブログサービスに切り替えてしまえと思ったのも理由である。

 

毎回毎回日記をはじめると最初の一ページだけはしっかり書く傾向にあるので、初っ端からこんなにぐだぐだ書いていて心配だけれど、まあつらつら書いていこうと思う。えいえいおー。

*1:展覧会評というか日々のいろんなメモの整理といったほうがいいかもしれない。それにしても作品リストにメモをしておくと、大体時間が経った時にしか見ないし、その時には書いてあることが意味不明になるよね。バイトの時に急いで書いたメモが見返すと意味不明なのと一緒。整理大事。

*2:尚この記事もエラーで一回消えて書き直している。泣きたい。