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はるやすみ

私は4年生になれるらしい。

不器用すぎて泣きながら取り組んだ実習の単位も無事にきたのである意味気楽だ。

語学の評価がやっぱり芳しくないのでちょっと落ち込んだ。

 

最近行った展覧会

国立新美術館草間彌生展。遺言のような展示だった。無限の洪水のような展示スペースを回って、走馬灯を見ているような気がした。草間彌生草間彌生以外の何者でもなく、すべてを巻き込んで、けれど、自身は決して変わることのない、強い天才的なただひとつの個性だと思う。

三菱一号館ナビ派。近代美術の総復習のような展示だった。ナビ派というのは1つのグループではあるけれど多様な個性を並べた展示であるという言葉を展示をみた別の人から聞いてなるほどなと思う。屏風の作品に気になるものが多数あり。ヴァロットンがとても異質でよく分からない画家という印象を受ける。

シャセリオー展。ヌードの大きな絵は面白い。このあいだのクラーナハの展示をどうしても思い出す。ロマン派やあのあたりの画家を見た経験がなさすぎて、比較するための感覚やイメージとか語彙が自分の中で少なすぎることに気づく。アングルとかは面白いと思うので図版を見ようと思う。

 

映画の話

恵比寿ガーデンズプレイスにある映画館で『たかが世界の終わり』 を見て、翌日は大泉学園で『ララランド』を見た。

ララランド、嫌いではないけれど、ものすごく好きになれるかといったら少し考えてしまうような映画だった。

エマ・ストーンはすごい良かったし、映像も音楽も良かったと思う。

そういうそこそこ良い音楽と映像と役者が作られるそこそこ良い雰囲気が、些細だけど深刻な出来事と感覚を(ささやかにかつ強引に)映画から追い出してしまっている。

繰り広げられているのは間違いなく素敵で夢のような世界なんだけど、現実にはそんな世界ありえなくて、というか、そんな世界が見えている人もいると思うし可能な世界であるとしても、その背後には必ず色んな痛みや困難や問題があるだろうと思うと、ただ綺麗な世界を提示することはそれらの救いにはならないよな。って感じ。うまくまとまらない。

些細だけど深刻なこと、というのがここ最近頭に浮かんではうまく形にできなくて逃げていく概念で、時間があったらちゃんと言葉にしたい。

 

気がつくとすぐ時間が空いて記録するのを忘れてしまうので、何があったか覚えているうちに急いで書いておく。

もうすぐ花見の時期だし団子でも食べて夜の街をぶらぶらしたい。